随分長く此れを書けないできた、昔もそう思った事がよくあったが、余りにも哀しい事、想像もしてない出来事が起き深く考えたり増して結論が直ぐに出ない問題を抱えると、日記はおろかメモも出来ない日々が続く。昔もそうだった真っ白なページが何を物語っているのかは、もう時間が経てば判らない。ただ、苦しかったから何から文字にしたら良いのか迷ってる内に書くチャンスを逃す。
家族とは、等という事を思うこと事態が普通なら無い、普通とはどこからどこまでを指すのか、何て事も、機能した家族の中では意識にも上らないこと。今、独り世帯に成って10年位に成ろうか?私は此の事を1度も後悔した事がない。余り多くの時間が無いことは判っていたから今を大切に出来る。知らない土地にも住み慣れてきた、多くの人にも出合って全く経験の無いことも目の前にしたら其れを自分で解決しなければ成らなかった。そんな時に助けて貰って初めて人の優しさを知った、此れは独りに成ったから神様が(私は無宗教)温かい手を差し伸べてくれたと、チラホラ咲き始めた梅や桜に、天気が良い日はお日様に手を合わせる。何やら訳の解らない事を書いている、何故かと言えば「真」の事柄を表に出せない状態で書いているから・・・私自身のことなら臆する事は無いが家族のこととなると結論が出るまで少し躊躇する。
ただ、哀しみから最早それは断念する方向に向かっている事だけは確か。元々オギャーと産まれた時から独りであったと感じる幼児期をおぼろげに細切れに思い出す。だから、独りで空想したり、近くの川を見ていて飽きなかった。美濃の国と三河の国を分ける川で水量も多く、橋は両国橋と言った。欄干の隙間から時には黒く時には群青色の流れに、身の置き所もない思いを川に流していたような、、遠い昔のこと。もう何十年も其の田舎には行ってない、川も上流にダムが出来て水量も僅からしい、ふるさとと言えば其の山に囲まれた小さな田舎。其処には今では住む人の居ない家が有るだけ、行くことも多分無いだろう。過ぎ去った事は心に有るだけ、しかし後の人生に少なからず影響を及ぼして深い所で疼く、其の時(幼少期)に戻ることが出来れば、私はもっと元気で駆け回ってやんちゃして遊び疲れて眠りたかった。
この頃、少しの頑張りで直ぐに疲れて家でもどこでも眠ってしまう様になった。今の問題が収まれば頭の中がシンプルになって楽に成るだろう、幸いお客様の前や人前ではいたって元気!!
長距離は走れなくても短距離はそれなりに・・・体育が苦手だった事を忘れて書いている。。。。。
ではでは・・・・・・・kou