2014年9月4日木曜日

父の1周忌終えて

 昨年から、介護の為何度も帰省し、そして、亡くなって・・・その後はあっという間の1年。肉親とはなんだろう?なんて思う日々が昔から今も繋がって答えは出ない。
やっと帰京して気分転換にカラオケに行って、時々会うメンバーから「歌手みたいな事いうね」と言われた。私はどうも声が上手く出ない時、言い訳をいうらしい(2~3週間歌ってないから声が出ない)。言っても言わなくても他の人にはどうでも良い事、理由は私の中に有って外に出すものではない。コンナ傾向は色んな場面でも出てくる、要するに解って貰いたいという欲求が直ぐに首を出す。もしかしたら其れも創作の原動力に成っているかもしれないと、自分を慰める。声の話に戻ると、皇后美智子様が心労の為か失語症に成られた事があったけれど声帯が非常に敏感な処という事は私も何度も体験している、いつも同じように声が出て歌える方は生活が安定して平和なのか?、ストレスによって声帯はどうなるのかは他の人の事まで解らないけれど、私が経験した事は声はかすれ高音は出なくなる自分でもハッキリと判る。気持ちを精一杯音にのせて発散出来た時は、スッキリとした気分になる。だから、又、カラオケ店でも行こう。
 実家は、父が亡くなって代がわりした、私とは遠い存在になって行く。母も高齢になって助けが要る様になった、春から此処に引き取る準備をして6月に行って話してみたが、住み慣れた家から離れる事は出来ないという気持ちと弟とは離れられないという結果だった。弟が母の面倒を責任をもってするという話になったから私は此方に帰ってきた。63年も一緒に同居している状態は心理的にも私の入る隙間もない。全ての世界観が違う、地方性の違い・・・私は自分の路線でしか生きられないのも現実だから・・・明日のことだけを思ってコツコツ生きていく。。。。。
  ではでは、、、、、kou

2014年5月5日月曜日

動けないから此れが書けます。

 早朝、震度5(千代田区の震度)の地震があった。心配して叔母から電話があった、震災以来の地震は結構慣れているけれど、連絡して貰うと嬉しいもの。誰かに関心をもってもらうことは人が生きていく行く上で基本的に大切な要素、そして安全な場所に居る、そして其処に待たれている事、、、産まれてオギャーと泣いている時その要素が無かったら生きられない。其れが赤ちゃんの時だけならいいが、充分な無条件の愛情を満たされないで育った場合、足りなければ足りないほど、後になってもまだ欲求は止まらない。私は、少し其れが有るのを自覚している。時には様々な方に助けられて今日まで来た。何かを創作するのは其の渇望感が有るからできるのかもしれない。
 昨夜、小粒の石でブレスレットを創った、といっても並べてゴムを通しただけ、完成はしてない。
長く同じ姿勢で居られないから仕上げは後回しに、ネックレスもデザインはほぼ決まったが仕上げは、又、一度に何本かする。だから、材料で散らかってしまう、今は方付けも後回しでも仕方ない。デザインしているときは楽しいから腰の痛みを我慢してしまうが、やはりもう少し気を付けて大切にしよう。
 新しいパソコンにも慣れてきたけれど、まだXPから移してないものが沢山!!先ず必要な事だけを此れでできる様になってるだけ、これから問い合わせながらして行く事ばかり。先日、マイクロソフトのインターネットエックスプローラーから感染するかも、というニュースを見てからヤフーのページを開けられなくなった。今日もGoogleから開いている、Gmailのアドレスも持った方が良いのか?
マア、解ってない人はこんな事にも困っているのです。誰か教えて下されば嬉しいです。
    ではでは、、、                         kou

2014年5月4日日曜日

怪我・・・2

 整形外科に診て貰ってレントゲンも撮って打撲と診断受けたが、後で腰も痛くなって再度見て貰った。今度はいつもの院長先生だった。足も再度レントゲン、腰も、足は確かに折れてはいないが小指の足首に近い関節の様な骨の連結部に歪みが判った、土曜に判らず水曜に判った。同じ病院でもドクターによってレントゲン写真の見方が違う、でも、その関節部位の痛みは有るから結局もう一度観て貰う事になっただろう。足はきつくテーピング、腰はぎっくり腰の様な痛みで安静に、という事。今となっては、腰の方が不自由、今日は起きてユックリ歩けるようになっている。世の中はゴールデンウイーク、何処に行っても混んでいるだろう等とテレビを観ている。
 世界卓球を毎晩夢中になって観ている。昨夜は女子が最後の5人目の石川迄試合をし、手に汗握った。一球一球その一つの球が決めて行く。ホンの少しのミスが流れも変えて行く、彼女の眼は鋭かった、自信を奮い立たせている眼、負けないぞという眼、集中している眼はとても美しい、フト見せる不安気な顔も他の選手達の大きな声や気迫に又、輝く顔に直ぐ戻る。最後は勝った、泣けた、久しぶりに興奮してテレビを観た。私も卓球を毎週してきたけれど、この怪我等で暫くおあずけ、、、体力維持の為の運動だから、試合等は全くしないけれど今回のテレビのように観るのは好き。自分は点に一喜一憂するのは精神が疲れるから、あくまで相手の打ちやすい所に出して長く打ち合う、マア、球を拾うのも少なくて楽なのだ。又、体育館に行ける日を楽しみにユックリ足を治す。
 身体が不自由なことは、元気な時には解らない。母が足腰と肩も痛め介護2と言われた、当たり前の様に出来たことが思う様に成らない事は本当に情けない。母の場合は余り善く成るという希望がもてない状態にある、悲しいこと。心もストレスを抱えて毎日が辛いという話を耳にするが、私が今出来る事は電話で様々な日常的な出来事を聴きながら少しでも気持ちを明るい方向に促すことくらい。先の事は私なりに考えているところ。 先ずは自分が善く成らねば・・と朝の太陽、夜のお月様に手を合わすようになった。
 ではでは、、、                                 kou

2014年4月27日日曜日

怪我

足に怪我をした。自転車で転んだ、ボンヤリしていた証拠。恥かしいから直ぐ起きて何も無かったかのように急いで帰った。其の時は少しの痛みはあったが大したことないと思っていた。でも違った、家で歩けない程痛くなった。腫れて青くなり少し赤い所もある、仕方なく翌朝病院に行ったところ打撲傷のみ、骨に異常はなく安心したが、実は、此のところいつも何か上の空、自分の家でする事ならまだ良い、他の人と交流する場面でも、いつもの私ではなかった。此の怪我で今の自分の状態が解った。芯から疲れが溜まっているから怪我をした。休め!という事。本当は色々と予定を立てていた、、がまだ相手に約束をする前で良かった。だから、ブログも書ける時間をいただいた。極限に成ると「お知らせ」がくる。 
今迄にも、同じ経験を何度かした。子供の怪我も入院する事によって其の状況から子供を救っ   た。重い水疱瘡になって入院したのも多分、病室の方が充分なケアがされて精神が休まるという神様の計らいだったかも。私が今、此処に居るように成ったのも10年程前、或る大切なメールを 頂き其れを携帯電話では受信出来なかった故。其の方はパソコンから長いメールを書かれたという事は判っていても、それを見ることはできなかった。ほんの少しのズレで人生の分岐点に成ってしまう。其れも此れも、私の行く道だった。知らない土地での新しい生活も9年に成ろうとしてる。  
まるで何も無かったかのよう・・・毎日の積み重ねが精一杯で今日を生きる他はない。
今回の怪我で休んでいるのは身体、頭は今の問題からは離れない、でも兎に角ぐっすり眠ること はしないと、折角のチャンスなのだから、大切に使おう。
ハナミズキが咲く頃、私が初めて自宅を持った時、頼んで玄関脇に植えて貰ったのを思い出す。元気で居るだろうか?    では、では            kou