2020年2月18日火曜日

勘違い

メイクアップ関連のお話でいつも「私にはどうすれば似合う?」「此処をどうすればいいの?」etc様々な質問を受ける。その場で部分的なアドバイスをする嵌めになるが、本意ではない。
そもそも、ご本人の想いはご本人のモノで私が差し出がましく言葉には出来ない。でも、私が初めてお化粧した時にも親戚のおばさんが型通りの付け方を当たり前のようにやってくれたのだった。元々自分がどうしたいか?等と考えてもいなかったし、その為の技術を持ちあわせてもいない。其れが現在も昔も変わっていない、呆れるほど変わっていない、多くは販売者からの情報でノウハウだけが独り歩きして来た。私に来る質問で「似合うのを教えて?」と聞かれると其の言葉に違和感あって先に進まない。想いを指先に乗せて自由にする!それには技術の裏付けが必要、だから、顕微鏡で観る様な細部から全身を引いて観る感覚までバランスの中に方向を見つけて行く。要は自分がしたい様にメイクアップする訳だから、そのしたいが解らない限り私は何も出来ないという事。勘違いは元から有るから、求められている想いを会話で探りながら~短い時間で多少の満足感を得てもらえるか?という、、ことに成る。だから、いつも不全感がまとわりつく、そんな事をやって来た。此れを書けなくなってから長い間に父は亡くなり、母はモノ言わずに寝ている人になった。時間は私の周りで速度を上げているような、、肉親は霞んでしまう程遠くへ行った。現実に今日をどうする?って想うだけにしている、新しい仲間にも出会えたしカラオケのサークルも皆さん集まってくれる。音楽が流れたら身体が自然に揺れる、地域のカラオケ大会に15日参加した行事が1つ
済んで又、我に返って~はてさてどうやってこのページを開くか??右往左往した。取りあえず
ではでは・・・  kou

2017年3月22日水曜日

「あいたい」

若く新しい歌手の曲「あいたい」を23日舞台発表で歌う。昨年からテレビの選手権で見ていた、高くクリアな声で100点を何度も出していた、そしてデビューし1年になる。私は選曲する傾向はこんな懐かしむものや心が揺れ動いてるもの、そして祈りを感じるものにひかれる。子供時代から好きだった歌を今初めて楽しんでる。これを歌っていて、誰に「あいたい」のか?と思いをめぐらす。もし時間が戻れば丁寧に子供の心に言葉少なに寄り添って小さな思いにも応えていきたいとそして温かな空気がいつも流れている家にしたいと・・・だから、この曲はその時間にも、空間にも、過ぎてしまった出来事にも、全てに「あいたい」のだ。心遠く逢う機会も話す機会も多分無い、でも元気で健やかに居て欲しいと願っている。あいたい、あいたい、何度も何度も16回もこのフレーズが出てくる、その都度思いは違い実際にあいたいという事でない当然個々の生活を大切にして私等は出る幕は無いのだから遠くから眺めることだけ。眺めてどう感じるかも私からは離れたところに置いておく。今を生きることしか出来ないのだから、その中で温かい塊を身体の中心に大切にして、「あいたい」と歌う、心から歌う。  ではでは、kou

2017年2月16日木曜日

再開

 月日はいつの間にか中身を色んな味わいにし苦くても其が私の中に入り込む、甘いモノがなくても他の僅かな味わいが恋しい。哀しさも眺めていたら泪は渇いた。次々に訪れるモノは何かと解いても今の応えが本当なのか?だれも解らない…長い間、又、心は右往左往していた。楽しい事を笑いながら身体も喜ぶよう明日はしたい。久しぶりのブログ、書き始めは胸が一杯でこんなことになった…
 陽射しがいつのまにか明るくなって、この部屋のカーテン越しに眩しいほど、さあ少しずつ歩いて行こう。カラオケ大会には相変わらず申し込んで18日土曜に出ることにしたから、”しゃくり”等の練習をしている、まあ・・なる様になるかと。もう一つ、「ひろば目白」で28日火曜「スカーフを使って春のおしゃれ」には、成り行きでお手伝いすることになり、色彩・バランス・等のお話をさせて頂きます。宜しかったらお出かけください、10時半~11時半です。今日は取り敢えず、これで、ではでは、kou

2015年5月9日土曜日

対抗力

 登記を一旦されたものは、いざ其れが問題になった場合、相手に対し一定の対抗力が有りどの様な経緯で成されたものでものであっても其れを覆すという事は難しい。東京でも地方でも法務局に問い合わせたが、登記の手続き自体は書類が整ってさえいれば意外にも簡単に出来る。現に司法書士でもない人間が慣れていれば出来ていた。随分前の事で今更その当時を知っている人は亡くなっているから証明することができないのだ。何か問題が判っても意図的にされたものであっても登記したものは強い。其れでも其れに公信力は無いというので、必ずしも其の登記が正しいとは言えないという。その所で争いになる、平成17年以後は昔ほど簡単に登記ができなくなったと聞いた。名前が自筆でなくても通るというのは今もそうかどうかは解らない。図らずも、この様な事柄を調べる事に成ったけれど、巡って来たことだから頑張ってみる、やれるだけ・・・本当はこうだ!という事が判っていても証明するのは大変、刑事ドラマみたいには答えは出ない。事実は隠れてしまうかもしれない、其れが現実。
 眉は、顔の中で1番対抗力を付けられるところ、1年もののドラマで女性の一生を表現したものをもし観る機会があったら是非ようく眉を見て下さい年齢に応じ、又、状況に応じて眉が変化してゆきます。眉の強さは対抗力に繋がります。日々の心の状態も眉で表現できます。そして実は鏡の中に見える自分に、ぐるり回って影響を受けて行きます。今日は、とうとう徹夜になってしまった。疲れた顔は、もし出かければ元気そうに演出する事になる。そうそう、短距離なら大人として~元気そうにできるって前も書いたような・・・・ではでは      kou
   

2015年5月2日土曜日

原家族

 この世に生きているという事は父と母という存在が有ったから。其の原家族は父が亡くなって実家は代替わりをし、母も高齢に成った。元々私は心に隔たりを持って結婚という形で去った、機能していた家族なら山口百恵の歌「いい日旅たち」のような思いが胸に湧いてくるのだろう、だから私はアノ歌を歌わない、歌う人は羨ましいと感じてしまう。この頃判った事があった、「珍島物語」を歌っていてかつては涙で歌えなくなってしまう程心に刺さって来た、最近は違う、いつの間にか原家族についてを思って歌っていないのだ、実際には確かにバラバラに成った其れだけなら其々が家族を持って疎遠になり冠婚葬祭でもなければ会う機会も無くなってしまう。しかしそのような事は特別な事ではない。まして私だけ東京にいて母達は私が結婚した後で今の田舎に移り住み現在に至っている、私は住んだ事も無い所が実家に成ってもう40年位経つ、父が亡くなって私の知らなかった事柄が判り増々隔たりは深く成った。そして思いもよらない事態で公のお世話になっている。この半年を超える苦しみの中で原家族には心に断念という文字がクッキリしてきた。成るように成った。
 今、同じ歌を唄う時思い浮かぶのは自分がつくった家族の事、子供たちに思いは届かないかもしれないが、祈ることだけ・・・私なりにその頃の幼い精神の私なりに、精一杯育ててきたが、私が寄り添ってもらえなかった様に私も寄り添えなかった。人生の後半の今、子供たちが自分の生き方を見つけて生きている中、もう私が其の時間を取り戻せない。大切な大切な命を授かって其れを健全に活かす為の手伝いも出来なかった。どんな方向へも伸びて行く可能性があった・・等と思う。其の芽を摘んだのは私だ!と責めていた時も遠く過ぎた。誰も生まれて来る家族を選べない、与えられた環境の中で、幼い時期に覚えた考え方や感じ方を基本として年齢だけは大人に成ってしまう。私が独りで居るのは、子供の頃からの在り方と同じ、少しも変わらない。人に淋しくない?と聞かれた事がよくあった、言われて初めて考えるが、やはり元々同じ処に居たから私は此の立ち位置に慣れているというか当たり前なのだ。様々な処に住んで(転勤族だった)いろんな人達に会う機会を得て其の都度温かいものに触れてきてこうして居られる。今日は沢山洗濯した、暑いくらいだったから良く乾いた嬉しい。  ではでは・・・・・  kou

2015年3月21日土曜日

哀しみは断念に変わると・・・

 随分長く此れを書けないできた、昔もそう思った事がよくあったが、余りにも哀しい事、想像もしてない出来事が起き深く考えたり増して結論が直ぐに出ない問題を抱えると、日記はおろかメモも出来ない日々が続く。昔もそうだった真っ白なページが何を物語っているのかは、もう時間が経てば判らない。ただ、苦しかったから何から文字にしたら良いのか迷ってる内に書くチャンスを逃す。
 家族とは、等という事を思うこと事態が普通なら無い、普通とはどこからどこまでを指すのか、何て事も、機能した家族の中では意識にも上らないこと。今、独り世帯に成って10年位に成ろうか?私は此の事を1度も後悔した事がない。余り多くの時間が無いことは判っていたから今を大切に出来る。知らない土地にも住み慣れてきた、多くの人にも出合って全く経験の無いことも目の前にしたら其れを自分で解決しなければ成らなかった。そんな時に助けて貰って初めて人の優しさを知った、此れは独りに成ったから神様が(私は無宗教)温かい手を差し伸べてくれたと、チラホラ咲き始めた梅や桜に、天気が良い日はお日様に手を合わせる。何やら訳の解らない事を書いている、何故かと言えば「真」の事柄を表に出せない状態で書いているから・・・私自身のことなら臆する事は無いが家族のこととなると結論が出るまで少し躊躇する。
 ただ、哀しみから最早それは断念する方向に向かっている事だけは確か。元々オギャーと産まれた時から独りであったと感じる幼児期をおぼろげに細切れに思い出す。だから、独りで空想したり、近くの川を見ていて飽きなかった。美濃の国と三河の国を分ける川で水量も多く、橋は両国橋と言った。欄干の隙間から時には黒く時には群青色の流れに、身の置き所もない思いを川に流していたような、、遠い昔のこと。もう何十年も其の田舎には行ってない、川も上流にダムが出来て水量も僅からしい、ふるさとと言えば其の山に囲まれた小さな田舎。其処には今では住む人の居ない家が有るだけ、行くことも多分無いだろう。過ぎ去った事は心に有るだけ、しかし後の人生に少なからず影響を及ぼして深い所で疼く、其の時(幼少期)に戻ることが出来れば、私はもっと元気で駆け回ってやんちゃして遊び疲れて眠りたかった。
 この頃、少しの頑張りで直ぐに疲れて家でもどこでも眠ってしまう様になった。今の問題が収まれば頭の中がシンプルになって楽に成るだろう、幸いお客様の前や人前ではいたって元気!!
長距離は走れなくても短距離はそれなりに・・・体育が苦手だった事を忘れて書いている。。。。。
                          ではでは・・・・・・・kou

2014年9月4日木曜日

父の1周忌終えて

 昨年から、介護の為何度も帰省し、そして、亡くなって・・・その後はあっという間の1年。肉親とはなんだろう?なんて思う日々が昔から今も繋がって答えは出ない。
やっと帰京して気分転換にカラオケに行って、時々会うメンバーから「歌手みたいな事いうね」と言われた。私はどうも声が上手く出ない時、言い訳をいうらしい(2~3週間歌ってないから声が出ない)。言っても言わなくても他の人にはどうでも良い事、理由は私の中に有って外に出すものではない。コンナ傾向は色んな場面でも出てくる、要するに解って貰いたいという欲求が直ぐに首を出す。もしかしたら其れも創作の原動力に成っているかもしれないと、自分を慰める。声の話に戻ると、皇后美智子様が心労の為か失語症に成られた事があったけれど声帯が非常に敏感な処という事は私も何度も体験している、いつも同じように声が出て歌える方は生活が安定して平和なのか?、ストレスによって声帯はどうなるのかは他の人の事まで解らないけれど、私が経験した事は声はかすれ高音は出なくなる自分でもハッキリと判る。気持ちを精一杯音にのせて発散出来た時は、スッキリとした気分になる。だから、又、カラオケ店でも行こう。
 実家は、父が亡くなって代がわりした、私とは遠い存在になって行く。母も高齢になって助けが要る様になった、春から此処に引き取る準備をして6月に行って話してみたが、住み慣れた家から離れる事は出来ないという気持ちと弟とは離れられないという結果だった。弟が母の面倒を責任をもってするという話になったから私は此方に帰ってきた。63年も一緒に同居している状態は心理的にも私の入る隙間もない。全ての世界観が違う、地方性の違い・・・私は自分の路線でしか生きられないのも現実だから・・・明日のことだけを思ってコツコツ生きていく。。。。。
  ではでは、、、、、kou