この世に生きているという事は父と母という存在が有ったから。其の原家族は父が亡くなって実家は代替わりをし、母も高齢に成った。元々私は心に隔たりを持って結婚という形で去った、機能していた家族なら山口百恵の歌「いい日旅たち」のような思いが胸に湧いてくるのだろう、だから私はアノ歌を歌わない、歌う人は羨ましいと感じてしまう。この頃判った事があった、「珍島物語」を歌っていてかつては涙で歌えなくなってしまう程心に刺さって来た、最近は違う、いつの間にか原家族についてを思って歌っていないのだ、実際には確かにバラバラに成った其れだけなら其々が家族を持って疎遠になり冠婚葬祭でもなければ会う機会も無くなってしまう。しかしそのような事は特別な事ではない。まして私だけ東京にいて母達は私が結婚した後で今の田舎に移り住み現在に至っている、私は住んだ事も無い所が実家に成ってもう40年位経つ、父が亡くなって私の知らなかった事柄が判り増々隔たりは深く成った。そして思いもよらない事態で公のお世話になっている。この半年を超える苦しみの中で原家族には心に断念という文字がクッキリしてきた。成るように成った。
今、同じ歌を唄う時思い浮かぶのは自分がつくった家族の事、子供たちに思いは届かないかもしれないが、祈ることだけ・・・私なりにその頃の幼い精神の私なりに、精一杯育ててきたが、私が寄り添ってもらえなかった様に私も寄り添えなかった。人生の後半の今、子供たちが自分の生き方を見つけて生きている中、もう私が其の時間を取り戻せない。大切な大切な命を授かって其れを健全に活かす為の手伝いも出来なかった。どんな方向へも伸びて行く可能性があった・・等と思う。其の芽を摘んだのは私だ!と責めていた時も遠く過ぎた。誰も生まれて来る家族を選べない、与えられた環境の中で、幼い時期に覚えた考え方や感じ方を基本として年齢だけは大人に成ってしまう。私が独りで居るのは、子供の頃からの在り方と同じ、少しも変わらない。人に淋しくない?と聞かれた事がよくあった、言われて初めて考えるが、やはり元々同じ処に居たから私は此の立ち位置に慣れているというか当たり前なのだ。様々な処に住んで(転勤族だった)いろんな人達に会う機会を得て其の都度温かいものに触れてきてこうして居られる。今日は沢山洗濯した、暑いくらいだったから良く乾いた嬉しい。 ではでは・・・・・ kou
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