2015年5月9日土曜日

対抗力

 登記を一旦されたものは、いざ其れが問題になった場合、相手に対し一定の対抗力が有りどの様な経緯で成されたものでものであっても其れを覆すという事は難しい。東京でも地方でも法務局に問い合わせたが、登記の手続き自体は書類が整ってさえいれば意外にも簡単に出来る。現に司法書士でもない人間が慣れていれば出来ていた。随分前の事で今更その当時を知っている人は亡くなっているから証明することができないのだ。何か問題が判っても意図的にされたものであっても登記したものは強い。其れでも其れに公信力は無いというので、必ずしも其の登記が正しいとは言えないという。その所で争いになる、平成17年以後は昔ほど簡単に登記ができなくなったと聞いた。名前が自筆でなくても通るというのは今もそうかどうかは解らない。図らずも、この様な事柄を調べる事に成ったけれど、巡って来たことだから頑張ってみる、やれるだけ・・・本当はこうだ!という事が判っていても証明するのは大変、刑事ドラマみたいには答えは出ない。事実は隠れてしまうかもしれない、其れが現実。
 眉は、顔の中で1番対抗力を付けられるところ、1年もののドラマで女性の一生を表現したものをもし観る機会があったら是非ようく眉を見て下さい年齢に応じ、又、状況に応じて眉が変化してゆきます。眉の強さは対抗力に繋がります。日々の心の状態も眉で表現できます。そして実は鏡の中に見える自分に、ぐるり回って影響を受けて行きます。今日は、とうとう徹夜になってしまった。疲れた顔は、もし出かければ元気そうに演出する事になる。そうそう、短距離なら大人として~元気そうにできるって前も書いたような・・・・ではでは      kou
   

2015年5月2日土曜日

原家族

 この世に生きているという事は父と母という存在が有ったから。其の原家族は父が亡くなって実家は代替わりをし、母も高齢に成った。元々私は心に隔たりを持って結婚という形で去った、機能していた家族なら山口百恵の歌「いい日旅たち」のような思いが胸に湧いてくるのだろう、だから私はアノ歌を歌わない、歌う人は羨ましいと感じてしまう。この頃判った事があった、「珍島物語」を歌っていてかつては涙で歌えなくなってしまう程心に刺さって来た、最近は違う、いつの間にか原家族についてを思って歌っていないのだ、実際には確かにバラバラに成った其れだけなら其々が家族を持って疎遠になり冠婚葬祭でもなければ会う機会も無くなってしまう。しかしそのような事は特別な事ではない。まして私だけ東京にいて母達は私が結婚した後で今の田舎に移り住み現在に至っている、私は住んだ事も無い所が実家に成ってもう40年位経つ、父が亡くなって私の知らなかった事柄が判り増々隔たりは深く成った。そして思いもよらない事態で公のお世話になっている。この半年を超える苦しみの中で原家族には心に断念という文字がクッキリしてきた。成るように成った。
 今、同じ歌を唄う時思い浮かぶのは自分がつくった家族の事、子供たちに思いは届かないかもしれないが、祈ることだけ・・・私なりにその頃の幼い精神の私なりに、精一杯育ててきたが、私が寄り添ってもらえなかった様に私も寄り添えなかった。人生の後半の今、子供たちが自分の生き方を見つけて生きている中、もう私が其の時間を取り戻せない。大切な大切な命を授かって其れを健全に活かす為の手伝いも出来なかった。どんな方向へも伸びて行く可能性があった・・等と思う。其の芽を摘んだのは私だ!と責めていた時も遠く過ぎた。誰も生まれて来る家族を選べない、与えられた環境の中で、幼い時期に覚えた考え方や感じ方を基本として年齢だけは大人に成ってしまう。私が独りで居るのは、子供の頃からの在り方と同じ、少しも変わらない。人に淋しくない?と聞かれた事がよくあった、言われて初めて考えるが、やはり元々同じ処に居たから私は此の立ち位置に慣れているというか当たり前なのだ。様々な処に住んで(転勤族だった)いろんな人達に会う機会を得て其の都度温かいものに触れてきてこうして居られる。今日は沢山洗濯した、暑いくらいだったから良く乾いた嬉しい。  ではでは・・・・・  kou

2015年3月21日土曜日

哀しみは断念に変わると・・・

 随分長く此れを書けないできた、昔もそう思った事がよくあったが、余りにも哀しい事、想像もしてない出来事が起き深く考えたり増して結論が直ぐに出ない問題を抱えると、日記はおろかメモも出来ない日々が続く。昔もそうだった真っ白なページが何を物語っているのかは、もう時間が経てば判らない。ただ、苦しかったから何から文字にしたら良いのか迷ってる内に書くチャンスを逃す。
 家族とは、等という事を思うこと事態が普通なら無い、普通とはどこからどこまでを指すのか、何て事も、機能した家族の中では意識にも上らないこと。今、独り世帯に成って10年位に成ろうか?私は此の事を1度も後悔した事がない。余り多くの時間が無いことは判っていたから今を大切に出来る。知らない土地にも住み慣れてきた、多くの人にも出合って全く経験の無いことも目の前にしたら其れを自分で解決しなければ成らなかった。そんな時に助けて貰って初めて人の優しさを知った、此れは独りに成ったから神様が(私は無宗教)温かい手を差し伸べてくれたと、チラホラ咲き始めた梅や桜に、天気が良い日はお日様に手を合わせる。何やら訳の解らない事を書いている、何故かと言えば「真」の事柄を表に出せない状態で書いているから・・・私自身のことなら臆する事は無いが家族のこととなると結論が出るまで少し躊躇する。
 ただ、哀しみから最早それは断念する方向に向かっている事だけは確か。元々オギャーと産まれた時から独りであったと感じる幼児期をおぼろげに細切れに思い出す。だから、独りで空想したり、近くの川を見ていて飽きなかった。美濃の国と三河の国を分ける川で水量も多く、橋は両国橋と言った。欄干の隙間から時には黒く時には群青色の流れに、身の置き所もない思いを川に流していたような、、遠い昔のこと。もう何十年も其の田舎には行ってない、川も上流にダムが出来て水量も僅からしい、ふるさとと言えば其の山に囲まれた小さな田舎。其処には今では住む人の居ない家が有るだけ、行くことも多分無いだろう。過ぎ去った事は心に有るだけ、しかし後の人生に少なからず影響を及ぼして深い所で疼く、其の時(幼少期)に戻ることが出来れば、私はもっと元気で駆け回ってやんちゃして遊び疲れて眠りたかった。
 この頃、少しの頑張りで直ぐに疲れて家でもどこでも眠ってしまう様になった。今の問題が収まれば頭の中がシンプルになって楽に成るだろう、幸いお客様の前や人前ではいたって元気!!
長距離は走れなくても短距離はそれなりに・・・体育が苦手だった事を忘れて書いている。。。。。
                          ではでは・・・・・・・kou